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バトンリレーは不幸の手紙

桑野一哉

バトンリレーの本質って、不幸の手紙なんだよね。
自分で止めたら、自分が責任者になっちゃう。

 

参加する人は自主的に参加したと認識し、しかし、誰かが決めたルールに従う、あるいはそのルールの一部に従う、という行動をさせられてしまいますので、本来の自由な行動とは質が違っています。

確かに。

 

もちろん「やっときた!」とやりたくてやってるなら、それでもいい。
でも、断ったら感じ悪いし。流れを止めちゃいそうだし。

なにより、みんなやってるし。

という中身を考えることなく、世間の同町圧力によってのみ人生を歩む。
そんな訓練をさせられてるようなものですね。

 

リレーが悪いわけでもないので、自分で考えてみてはどうでしょう?

 

バトンリレーって昔でいえば、「不幸の手紙」。
この手紙を止めた人には30日以内に不幸が・・・

なんて書いてあるわけですね。
あぁ、若い人は知らないか。

 

本当に手紙が送ってきてたんですよ。
家のポストに届くんです!まぁ手紙ですからね。

私もこれは書かねば!とかなりビビった記憶があります。

でも夏休みの宿題もやらなかったタイプ。

 

当然のように不幸の手紙を放置してしまったんですね。
そして1度送った人は2度目はもう、気にしなくなって送らない。

そして全国に私のようなズボラな人もいて、どんどん終わってしまった。
パンデミックはそうやって終息していくんですねぇ。

 

ということで、自分は何者なのか?
誰かのフェイクにコントロールされていないか?

じっくり考えてみましょう。